この度めでたく、10月半ばより年末まで京都滞在製作をした鏡板の能舞台、真謡会館の舞台披きが3/16,18に行われました。
やっと皆様に全容をご覧頂ける時がやってまいりました!

観世流能楽師の分林道治さんのお建物、地上4階地下1階のステキな建築の地下に、能楽堂が作られました。
2年を要した大工事の、私は2ヶ月半という短い期間でしたが、本当に素晴らしい体験ができたと思います。
長くなりますが、私の悲喜交々の製作記録です。
夏より下図作成に取り掛かり、PCでデータを作り、分林先生とメールで何回も図案を練り直し、それを1/4サイズの模造紙にアクリル絵の具で描きました。
全体のバランス、松の株の配置や数(七五三)、幹のゴツゴツした感じ、霞の金など、分林先生のご意向に沿って作画しました。特に松の青と株ごとの濃淡が特徴的です。

160枚の拡大コピーを繋ぎ合わせ、雨降り続きの10月半ば、京都入りしました。
地下の工事が遅れていたこともあり、現場監督さんが手付かずの4階のフロアに製作場所を設けて下さいました。
画面は、杉板を襖状にしたもの五枚、2.9m×5.4m。
大工さんが繋ぎ合わせて、土台までチャチャっと作ってくれました。
持参した下絵コピーを実際板に置いてみると、あら~っ寸法合わない!
大きすぎ&小さすぎで、堀川のセブンイレブンのコピー機を長時間占有すること2回。貼り合わせ作業でかなりの時間をロスしましたが、納得いくまでやります。
滲み止めのドーサを3回塗って、いざ転写です。

輪郭線の裏を濃い鉛筆で塗って、上からなぞって転写したら、墨でコツ描きです。

着色部分にさらにドーサ引きを2回して、いざ着彩。
下塗りに普段なら水干を使いますが、今回はなるべく天然岩絵の具にしました。
日本画材の放光堂さんには沢山アドバイスを頂き、本当にありがたかったです。

こうなる前に、実は一度全部の下塗りを洗いました。
紙と違って、木がドーサ液を吸ってしまい定着が弱く、指で擦ると絵の具(特に緑土)が動く。これでは後々、土台から剥落してしまう。
というわけで泣く泣く刷毛と布で彩色を洗い、濃いドーサ引きからやり直し!
今度は入念に。下地の絵の具を溶くときにも膠にドーサを混ぜてガッチリ定着。
そしていよいよ、恩師の畠中先生から譲って頂いた極上天然緑青。ドキドキ!

焼緑青もマンションのキッチンで焼いて作っちゃいました。猛毒注意!

そして、今まで高すぎて買ったこともない極上の群青。
先生特製の群青を特別価格で譲ってもらいました。

岩絵の具を何度も薄く塗り重ね、ここまで早1ヶ月。
予定では描き上がってるはずだったけど、まだ竹もあるんだよねー。。
金砂子を撒く霞の場所にしつこくドーサ引きをしつつ、ここから松葉の一本一本の描き込みです。必死すぎて写真撮る暇なし!
私を含め大工さんも監督も休みなんてありません。毎日遅くまで頑張りました。

松葉と金砂子に11日間を要し、11/28に老松完成!
翌々日、5枚の板をエアーで二重梱包し、監督お二人と大工さん総出で4階から地下まで階段で!運んで下さいました。ありがとうございます~!
わ~工事現場がいきなり能舞台になったね!で記念撮影。

今度は地下で竹の絵の製作です。
腰を痛めてしまった私のため、椅子に座って作業できるように机を作って下さり、木屑が入らないよう能舞台の周りをグルッと養生ビニールで覆って下さって、すっかり能舞台が広い私専用アトリエになりました。

竹の下絵コピー貼り合わせや転写などの作業を、滋賀県在住でお能ファンのRさんが何度もお手伝いに来て下さり、本当に助かりました。ありがとうございます!
竹の絵は当初、建てつけた壁に描く予定だったのですが、やはり岩絵の具を使うには水平でないと描けないため、監督と大工さんにお願いして、描いてからはめてもらえることになりました。
下塗りの段階で、畠中先生が現場を見に来てくれました。が、ダメ出しの嵐!
学生時代にも経験のない細やかなご指導。凹むよりも有り難く、奮起しました。
本当に、先生が私の先生でよかった。心からそう思いました。
11月末までのウィークリーマンションの契約を10日間延長しましたが、それでも終わらないと観念。
一旦柏に帰って所用を済ませて二週間後に戻ってくることにして、その間に大工さんに壁に嵌めてもらいました。

線描などの細かい作業を6日間。ついに12/30に完成!
写ってはいませんが、葉脈や節や輪郭線など、精魂込めて描きました。
最終日には、高校の写真部所属である分林さんご子息に撮影して頂きました。さすが良く撮れてます!
この写真を元に、舞扇を作るということでした。

こうして2ヶ月半の滞在製作が終わりました。
途方に暮れてメソメソしてみたり、分林さんご夫妻や現場監督さんの優しさにホッコリしたり、津田茂さん設計の建築に惚れ惚れしたり、それを形にする大工さんたちの匠の技に感動したり、畠中先生から珠玉の教えの数々を頂けたり、取材で御所や嵯峨野を訪れたり、懐かしい友人や恩人に会えたり、本当に濃密な日々でした。
何より、京都はやっぱり私の魂の故郷なのだと確信しました。
そうして、舞台披きまで沈黙を守りきったワタクシ。2ヶ月半後へ続きます。
「鏡板② お披露目 2018.3.16」